日本は、世界でも有数の「寝不足大国」です。OECDの調査では、日本人の平均睡眠時間はおよそ7時間22分で、33カ国中で最も短い水準だとされています。さらに、2026年に発表された国際調査では、日本は4年連続で「最も睡眠時間が短い国」に選ばれ、平均睡眠時間は1日6時間23分という結果も出ています。
つまり日本は「統計の取り方が違っても、とにかく他国より寝ていない国」ということになります。そんな「慢性的な睡眠不足社会」の中で膨れ上がっている市場があります。それが睡眠をめぐるビジネス、いわゆる スリープビジネス や スリープテック と呼ばれる領域です。

目 次
日本人はどれくらい眠れていないのか
まずは、どのくらい寝ていないのかを数字で見てみましょう。
OECDの統計では、日本人の平均睡眠時間は7時間22分で、調査対象の先進国の中で最下位という位置づけでした。別の国際調査では、13カ国・3万人規模の調査で日本は平均6時間23分と、ここでも最下位。アメリカやイギリスでも睡眠時間は短くなっているものの、それでも日本より数分から十数分は長いという結果が出ています。
国内の調査では、厚労省の調査をもとにした分析で「6時間未満しか眠れていない人」が男性で38.5%、女性で43.6%に達するというデータも報告されています。つまり、働き盛りの世代の3〜4割が「6時間寝られていない」のが現実であり、特に40代ではその割合が高いと言われています。「睡眠時間6時間未満」は、医学的にはさまざまなリスクが高まるラインだとされますが、それがかなり“普通の状態”になっているわけです。
さらに最近の調査では、「深い睡眠が一週間にゼロの日がある」と答えた人の割合が、日本では8%と、世界平均の5%を上回っているとの結果も出ています。「時間」だけでなく、「質」も足りていない。仕事、家事、育児、介護、そしてスマホ。さまざまなものに時間と注意を削られた結果、睡眠が一番後ろに押しやられている光景が浮かびます。
睡眠ビジネスはなぜ膨れ上がっているのか
そんななかで、「眠れない」ことを解決しようとする商品・サービスが次々に生まれています。マットレス、枕、寝具、睡眠サプリ、睡眠ドリンク、アロマ、ヒーリングミュージック、瞑想アプリ、スマートウォッチ、睡眠トラッカー…。もはや、どこからどこまでが「睡眠市場」なのか境界がわからなくなるほど、多様なプレイヤーが参入している状況です。
世界全体で見ても、スリープテックと呼ばれる「睡眠×テクノロジー」の市場はすでに数兆円規模に達し、今後も二桁成長が見込まれています。日本国内に限っても、「睡眠テック市場」は2022年時点で約60億円規模と推計され、2026年には約175億円にまで拡大するとの予測が出ています。まだ数字としては小さいようにも見えますが、わずか数年で3倍近くになるというのは、伸びしろが大きい領域と言えます。

さらに、純粋な「テック」に限らず、寝具全体やサプリ・食品、医療・介護領域を含めた「睡眠関連市場」全体を見ると、日本国内だけで1兆円規模に達しているとする推計もあります。「寝不足大国ニッポン」が、その不足分を埋めるようにして睡眠市場を膨らませている図は、ある意味とてもわかりやすい構図です。
それでも日本人が眠れない理由
これだけ睡眠ビジネスが伸びているのに、日本人の睡眠状態が劇的に改善した、という話はあまり聞きません。なぜなのでしょうか?そこには、いくつかの構造的要因があるからです。
1つ目は、長時間労働と通勤時間の長さです
日本では依然として、1〜2時間の通勤が「当たり前」という人が少なくありませんし、業種によっては長時間残業も根強く残っています。睡眠時間は「余った時間から捻出するもの」になりやすく、結果として削られるのが夜の睡眠時間です。
2つ目は、高齢化と介護負担です
親の介護や見守りのために、夜中に何度も起きなければならない人もいますし、デイサービスや施設との連携の都合で、生活リズムが不規則になりやすいケースもあります。
3つ目は、デジタル依存です
ベッドに入ってからスマホでニュースやSNSを見たり、動画サービスを「もう1本だけ」と見続けたりする光景は、もはや多くの人にとって日常になっています。「寝る前の1時間」は、そのまま「寝る時間」でもありますが、現実には通知やコンテンツに奪われやすい時間帯です。
興味深いのは、前述の国際調査で「睡眠の知識」について質問したところ、日本は調査対象13カ国の中で最下位だった、という点です。「睡眠不足が寿命に影響する」と知っていた人の割合は63%と、世界平均の84%を大きく下回っていました。
一方で、「眠れるようにするために何かしているか」と聞かれて「何もしていない」と答えた人が38%と、これも各国の中で最多でした。
「寝不足なのは感じている。でも、根本原因も対策もあまり知らないし、とりあえず何もしていない」。こここが日本が抱える睡眠問題の“やっかいさ”な点です。変に我慢強い国民性だからなのでしょうか…。
睡眠ビジネスの現在地──B2C偏重の限界
こうした状況のなかで、睡眠ビジネスはどこを見ているのでしょうか。現状では、その多くが「個人の不安」と「自己改善願望」をターゲットにしたB2Cビジネスになっています。
- 「あなたの睡眠の質を高めるマットレス」
- 「寝る前に飲むだけで、ぐっすり眠れるサプリ」
- 「アプリを入れるだけで睡眠を見える化」
こうしたメッセージは、確かにわかりやすく、広告としても打ちやすいものです。しかし、ここには明確な限界もあります。
というのも、そもそも睡眠不足の大きな要因は「会社の働き方」「組織の文化」「都市構造」など、個人だけではどうにもならない領域にあるからです。深夜までの残業が当たり前の職場で、高性能のマットレスに投資しても、改善できる範囲は限られます。終電ギリギリまで働いたあと、往復2時間の通勤をしている人に「寝る前1時間はスマホを見ない」と言っても、もはやそれは“理想論”、いわゆるひとつの“お花畑”でしかありません。
「個人の睡眠」を整える前に、「個人の睡眠を削っている構造」を変えない限り、睡眠不足は根本的には解決しません。ここが今の睡眠ビジネスが抱えている盲点です。
これから伸びるのは、B2Bの睡眠ビジネス
では、この盲点を埋めるビジネスはどこに生まれるのでしょうか。一つの答えは「睡眠×B2B」、つまり組織や現場、地域単位で睡眠問題に向き合うサービスだろうと思っています。
すでに、いくつかの萌芽は出てきています。
- 健康経営に取り組む企業向けに、社員の睡眠データを匿名・統計的に収集し、組織別・部署別の傾向を可視化するサービス
- 夜勤・交代制勤務のある工場や病院で、シフト設計に睡眠データを組み込むコンサルティング
- 高齢者施設や在宅介護向けの「睡眠モニタリングセンサー」と、そのデータを活用した見守りサービス
睡眠トラッキングデバイス市場だけを見ても、日本では2023年時点で約10億8,000万ドルの規模があり、2030年には約26億6,000万ドルまで拡大する見通しです。年平均成長率は13.7%と、極めて高い伸びが予測されています。この中には、個人向けウェアラブルだけでなく、企業や医療機関、介護施設が活用するセンサーやシステムも含まれています。
MRDとして特に可能性を感じるのは、製造業や物流など「現場を持つ企業」における睡眠データの活用です。夜勤や交代制勤務がある現場では、睡眠不足はそのまま事故リスクや品質トラブルのリスクにつながります。ヒヤリハットの記録と睡眠データを紐づければ、「どの時間帯」「どのシフト」「どんな睡眠状態のときに危険が高まるか」を可視化することができます。

以前、健康ビジネスの案件で、スマートウォッチと事業ドライバーの健康管理状態関係を洗い出したことがあります。ここでも戦略のキーになったのが「睡眠」でした。
「残業時間を減らす」だけでなく、「睡眠の質と量を含めた安全指標」を設計する。この視点は、これからの現場マネジメントや安全対策の中で、もっと語られてよいテーマだと感じています。

「よく眠れる会社」は、採用にも強い
睡眠を「経営のど真ん中のテーマ」として扱う企業は、採用やエンゲージメントの面でも強くなります。先ほどの国際調査では、「上司が自分の健康を気にかけていると感じる」と答えた人の割合が、日本では26%にとどまり、世界平均の約半分という結果が出ています。「職場が休息と回復を重視している」と感じる人の割合も、日本では24%と低く、多くの人が「健康より仕事優先」と受け止めている現状が浮かび上がります。
逆に言えば、ここに差別化の余地があります。「社員がちゃんと眠れる会社です」と胸を張って言える会社は、それだけで若い世代からの共感を集めやすくなります。睡眠時間、休日取得、リモートワーク、勤務時間設計などを「人的資本」の一部として情報開示していく流れも、今後は強まっていくでしょう。
給与や福利厚生の比較が難しくなっていく中で、「この会社で働き続けたときの健康寿命」こそが、就職・転職の重要な判断軸になっていくかもしれません。そのときに、企業に突きつけられるのは、次のような問いです。
「御社で働くと、人はちゃんと眠れますか?」
「睡眠」をどこまで経営のテーマにするか
睡眠市場は、今後も「個人の不安」と「構造的な問題」のあいだで揺れ動きながら拡大していくはずです。
これまでの睡眠ビジネスは、「眠れない個人」の自己責任に寄せたB2C商品が中心でしたが、これからの伸びしろは、組織や現場、地域単位で睡眠問題に向き合うB2B/B2Gの領域にあります。
経営者やマネジメントにとって重要なのは、「社員の睡眠」をどこまで自社の経営テーマとして扱うか、というスタンスの問題です。働き方改革、健康経営、人的資本経営といろいろな言葉がありますが、その一丁目一番地にあるのは、極めてシンプルな「この会社で働く人は、ちゃんと眠れているか」という問いです。
睡眠は、何かあったときに真っ先に削られる「最後のバッファ」です。その最後のバッファを切り崩すことで成り立っているビジネスモデルは、いずれどこかで限界にぶつかります。逆に、社員がきちんと眠れる会社は、長期的には採用にも、生産性にも、ブランドにも強くなっていくはずです。
寝不足大国ニッポンで膨れ上がる睡眠市場。そこにどんな問いを投げかけ、どんなビジネスの可能性を見出すのか。MRD通信としても、引き続き追いかけていきたいテーマです。
