内部留保があっても、給料が上がりにくい理由 ~給料を上げられない会社は、どこで詰まっているのか

「内部留保があるなら、もっと給料を払えるはずだ」。そんな声を、ニュースやSNSで見かけることがあります。たしかに、そう言いたくなる気持ちはわかります。

しかし、中小企業の現場にそのまま当てはめると、少し違って見えてきます。大企業と中小企業では、お金の残り方も、値決めの強さも、賃上げの重さも違うからです。中小企業白書でも、円安・物価高・金利上昇・人手不足が同時に重なり、中小企業を取り巻く環境は、なお厳しいと整理されています。

MRD通信

まず、よく使われる「内部留保」という言葉から見ておきたいと思います。

  • 財務省の法人企業統計によると、日本企業の内部留保(利益剰余金)は2024年度末時点で約637兆円とされ、13年連続で過去最高を更新しています。
  • これは金融・保険業を除く全産業ベースで、企業の「ため込んだ利益の合計」として集計されています。
  • 大企業(資本金10億円以上)だけに絞っても、内部留保は2024年7~9月期で約553兆円と報告されており、こちらも過去最大水準です。

財務省の四半期別法人企業統計では、2025年10〜12月期の利益剰余金は約663兆円あります。一方で、現金・預金は約271兆円です。

つまり、利益剰余金の全部がそのまま口座に積み上がっているわけではありません。設備、在庫、売掛金、投資など、別の形になっている分もかなり大きい。ここを飛ばして「内部留保があるのだから払える」と言ってしまうと、現場の実態から少し離れてしまいます。

もちろん、だから賃上げは無理だ、と言いたいわけではありません。

実際、2025年の春闘では、連合の最終集計で賃上げ率は全体で5.25%、300人未満でも4.65%でした。動ける会社は、すでに動いています。

内部留保」は、そのまま給与に回せるのでしょうか。

  • 内部留保は会計上は「利益剰余金」という純資産で、「現金の山」そのものではありません。​
  • 実際に賃上げやボーナスに充てるには、現預金や将来のキャッシュフローを使う必要があり、内部留保そのものを直接「取り崩して支払う」という仕訳は存在しません。​
  • ただし、一般的な理解としては「利益を社外(配当など)に出さず内部に残している状態」なので、その一部を賃上げ原資として使うことは、現金・収益状況が許せば十分に可能です。
  • 将来不安・長期停滞への警戒
    売上や日本市場の先行きが不透明な中、固定費である人件費を恒常的に引き上げることに慎重になり、内部留保としてため込みがちになってきたと分析されています。
  • 株主からのプレッシャー
    内部留保は株主の財産とみなされ、賃上げよりも配当や自社株買いによる株主還元を求める声が強い企業も多いです。
  • ガバナンスと「人件費=コスト」思考
    経団連も「賃金引き上げや処遇改善を『人への投資』と位置付けるべき」と言いつつ、現場では依然として人件費をコストとして抑制する発想が根強いとされています。​
  • 一度上げた賃金は戻せない
    設備投資なら業績悪化時に減らせますが、ベースアップは基本的に下げられないため、「内部留保が今はあっても将来ずっと維持できるか」という慎重論が強く働きます。

「できない」というより「リスクを嫌ってやらない・やりにくい」のではないかと思います。

  • 内部留保を厚くすると、自己資本比率が上がり、借入に頼らずに済むため、財務リスクを下げられます。
  • 不況や災害、パンデミックなどのショックに備える「バッファ」としても機能するので、「守りの経営」が定着した日本企業では内部留保を厚くするインセンティブが強くなっています。
  • 加えて、株主からの配当要求と将来投資(設備投資・M&A等)へのニーズもあり、「余裕があっても恒常的なベースアップには踏み切りにくい」という判断が多くなりがちです。

つまり、「法人税が安いから貯め込んでいる」というより、「税が下がって利益は出やすくなったが、その使い道を賃上げではなく内部留保・投資・株主還元に振り向けている」という方が実態に近い気がします。

  • 与野党や一部論者から「法人税増税や内部留保課税で、企業に賃上げを促すべき」との提案がありますが、経済学者の多くは「賃上げにはあまりつながらない」と懐疑的です。
  • 理由はシンプル。法人税が上がれば、企業に残る税引後利益は減るため、むしろ「コスト削減圧力」が強まり、賃上げ余力を縮小させる可能性が高いからです。
  • 内部留保への時限課税(例:増加分に数%課税)を賃上げインセンティブとして使う案もありますが、「企業が投資や給与ではなく海外移転や節税策を強めるだけ」という批判も多く、決定打とは見なされていません。

ざっくりいうと、「法人税を上げれば給与に回り始める」というより、「法人税を上げると、かえって賃上げがやりにくくなるリスクの方が大きい」という評価が主流のようです。

では、なぜ多くの中小企業で「上げたいけれど苦しい」が続くのか。

理由はかなりはっきりしています。上がったコストを、売価へ十分に移せていないからです。

中小企業庁の2025年9月調査では、コスト全体の価格転嫁率は54.5%。労務費についても、ようやく5割に届いた段階でした。コストが上がっても、その半分ほどしか価格に反映できていない会社が多い。これでは、給料を上げる原資が太くならないのは当然です。

しかも今の中小企業は、人手不足の圧力も強く受けています。

中小企業白書では、中小企業の労働分配率はすでに8割近く、さらに賃上げ余力は厳しい一方で、人材確保のために業績改善を伴わない賃上げも増えていると示されています。要するに、人はほしい。給料も上げたい。けれど、その土台になる利益が厚くない。これが苦しさの正体です。

日本の企業全体のうち、中小企業が占める割合は「約99.7%」です:中小企業庁の集計では2021年時点で中小企業は約336万社で、全企業数に対する構成比は99.7%。中小企業のうち特に小さい層(小規模事業者)が約84~85%を占めており、日本は「大企業はごく一部、多数は中小・小規模」という構造です。

ここで、経営の話として見ておきたいことがあります。

賃上げが進まない理由を、全部「国が悪い」「大企業が悪い」「取引先が悪い」で終わらせると、自社の手元にある課題まで見えなくなります。

見積の出し方が甘い、値上げの根拠を数字で示していない、安さ以外の選ばれる理由が弱い、古いやり方が残っていて生産性が低い。

こうしたことが積み重なると、会社の中に利益が残りにくくなります。中小企業白書でも、コスト削減だけでは限界があり、価格設定・価格転嫁、設備投資、デジタル化によって付加価値と生産性を高める必要があるとされています。

給料の話は、気持ちだけでは決まりません。

賞与なら、その年の業績を見ながら調整できます。けれど基本給は、毎月続く固定費です。今年だけでなく、来年も再来年も払えるかどうかが問われます。だから経営者は慎重になります。これは単なる渋りではなく、会社を続けるための判断でもあります。

春闘の数字が示しているのは、「払うか払わないか」という単純な話ではなく、払える構造を持っている会社から先に動いているという現実です。

そう考えると、中小企業の経営者が本当に見るべきなのは、内部留保の額そのものではありません。

この会社は、来年も再来年も、社員の給料を上げていける仕事のつくり方になっているか。こちらです。

  • 見積の中に人件費上昇をきちんと織り込めているか。
  • 値上げをお願いベースで終わらせず、数字で説明できているか。
  • 価格だけで選ばれないように、提案力、対応力、専門性、スピード、地域性を言葉にできているか。
  • 採れない損失、辞める損失、育て直す損失まで含めて、人件費を見られているか。
  • 属人化や手戻り、確認待ち、二重入力のようなロスを減らし、同じ人数でも粗利が残る形へ寄せられているか。

こうした積み重ねが、あとから賃上げ余力になっていきます。中小企業白書が示す方向も、結局はそこです。

「払えない会社」と「払えるのに渋い会社」は、どちらもあります。ただ、中小企業の現場に近いのは前者でしょう。売価へ転嫁し切れず、利益が薄く、人も足りない。その中で何とか回している会社が多い。だから必要なのは、経営者を責める言葉よりも、利益が残る構造へどう組み替えるかという視点です。

給料は、社内の善意だけでは上がりません。

粗利が残る。価格を守れる。人が定着する。少しずつでも生産性が上がる。そこまでつながって、ようやく上げやすくなります。

賃上げは、最後に出てくる結果です。入口で叫ぶ言葉ではなく、経営の設計の中でつくっていくものだと思います。

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