キャリーケース市場から読み解く、今後のライフスタイル

街を歩いていると、キャリーケース(通称:ガラガラ、コロコロ、ゴロゴロ)を引く若者をよく見かけるようになりました。電車のホームでも、コンビニでも、商店街でも。「旅行に行くのかな」と思いきや、どうやらそうでもない。荷物を持ち運ぶ日常ツールとして、キャリーケースが普通に使われています。

この光景はいつ頃から始まったのか。そして、この現象の裏に何があるのか。スーツケース市場を入口に、日本人のライフスタイルの変化を読み解いてみたいと思います。

MRD通信

あまり知られていませんが、キャスター付きスーツケースは日本発のアイデアです。大阪のかばんメーカー「エース」がサムソナイトとライセンス契約を結び、1972年に世界初のキャスター付きスーツケースを開発・販売しました。1964年の東京オリンピックで海外旅行が解禁され、より持ち運びしやすい荷物への需要が生まれたことが背景にあったと言われています。

その後、1980〜90年代にかけて旅行用バッグとして定着しましたが、この時代はまだ「非日常の特別な道具」という位置づけでした。

若者のキャリーケース利用が本格的に広がったきっかけは、2010年代のLCC(格安航空会社)登場でした。ピーチやジェットスターなどの就航により、飛行機のチケットが一気に身近になりました。ある調査では、2015年には18〜29歳男性のLCC利用率が過半数を突破し、「LCCをきっかけに旅行をした」という若者も少なくないとされています。

特に重要なのはLCCの料金構造です。預け荷物に追加料金がかかるため、旅行者は自然と「機内持ち込みサイズで収めよう」という行動をとるようになりました。この制約が、コンパクトな小型キャリーの標準サイズを事実上決め、普及を加速させていきました。

時 代できごと
1972年ACE×サムソナイトが日本でキャスター付きスーツケースを開発 
1980〜90年代キャリーバッグという概念が一般化、旅行用として普及
2000年代後半LCC普及・軽量素材で若者への旅行ハードルが下がる
2010年代機内持ち込みサイズ定着、ミニマリスト文化の浸透
2020年代〜コロナ後の近場旅行増加で小型キャリーの「日常使い」が急増 

2020年代に入り、さらに大きな変化が起きました。コロナ禍を経て、長期の海外旅行よりも1泊2日の近場旅行・マイクロツーリズムが主流になったと言われています。加えて、ミニマリスト文化の台頭や、スマホ1台で決済・地図・チケットが完結する環境の整備によって、若者の荷物は大きく減りました。

「荷物が減ったこと」「移動が増えたこと」「体への負担を抑えたいこと」「SNSで見せたいこと」といった複数の欲求が重なった結果、キャリーケースは旅行の文脈を超えたライフスタイルアイテムとして使われるようになってきたのだと思います。

視 点旅のスタイルの変化
海外旅行円安が続く限り低迷、若者はLCC近距離(韓国・台湾)に集中
国内旅行物価高で「旅行できない層」が増加、消費は高単価・少人数化
パスポート取得緩やかな回復基調だが、コロナ前水準には戻りにくい 
新興トレンド近場の「マイクロトラベル」「日帰り旅行」が主役へ

ここには、少し不思議な逆説があります。日本人のパスポート保有率は現在、およそ6人に1人程度とされています。日本人の海外渡航者数もコロナ前と比べると大きく減少しており、「海外に行く日本人」は確かに少なくなっているように見えます。

ところが、スーツケース市場自体は縮小していません。むしろ拡大傾向にあります。

ある調査では、2024年度の旅行鞄小売市場が前年を大きく上回る規模に拡大したとされています。また、別の市場予測では、日本のスーツケース市場は今後数年でほぼ倍増規模に成長する見通しが示されています。

その背景には、主に次の3つの要因があると考えられています。

① インバウンド消費
円安を背景に、訪日外国人にとって日本で販売されているスーツケースは「品質が高く、価格が割安」に見えます。そのため、旅行中にキャリーケースを購入して、そのまま持ち帰るケースが増えていると言われています。

② プレミアム化
旅行回数が減っても、「行くときは良いものを」という志向が強まっています。結果として、1個あたりの単価が上がり、リモワやトゥミなどの高価格帯ブランドが堅調に売れている状況があります。

③ 日常使い需要
通勤・通学・買い物・引っ越しなど、旅行以外のシーンでキャリーケースを使う人が増えています。そのため、「旅行者だけが買う道具」から「生活雑貨の一種」へと位置づけが変わりつつあると考えられます。

ただし、矢野経済研究所は2025年度以降は成長鈍化を警告しています。

鈍化の要因影 響
中国人観光客の減少インバウンド消費の伸びが鈍化する可能性
国内の物価高節約志向で国内消費者の買い控えが進む
円高リスク円安が是正されるとインバウンド消費が急減しうる
国内旅行者減若者・中間層の旅行総量が縮んでいる

世界全体では、サムソナイト、リモワ、エース(日本)、デルセー(フランス)といったブランドが大きなシェアを持つ寡占市場になっています。

日本国内では、サムソナイトやエースに加え、無印良品のスーツケースが高い評価を得ていることも特徴的です。また、楽天やAmazonといったECモールでは、中国系の新興ブランドが低価格帯でシェアを伸ばしており、「プレミアムブランド」と「コスパ重視ブランド」がはっきり二極化している構図が見えてきます。

この二極化は、スーツケースに限らず多くの消費財に共通する現象で、「中価格帯の中庸な商品」が選ばれにくくなっている流れとも重なっているように感じます。

スーツケース市場の動きは、日本人のライフスタイルの変化をよく映し出しているように思います。

各種調査からは、今後の旅のスタイルとして「短く・頻繁に・テーマを持って・AIで最適化して・自分らしく」といった傾向が強まると予測されています。

一方で、物価高や円安、宿泊費の高騰などを背景に、「旅行自体から遠ざかる層」も増えています。その結果として、

  • 旅を楽しむ人は、より高頻度・高単価で「こだわりの旅」をする
  • 一方で、旅行をあまりしない、あるいはできない層も増える

という二極化が進んでいく可能性があります。

スーツケースは、その二極化の中で「プレミアムな1個を選ぶ人」と「日常使いの実用品として選ぶ人」の双方に向けて進化しているように見えます。

キャリーケースを引く若者の姿は、単なる一時的な流行ではなく、LCCがもたらした移動の変化、スマホによる荷物の最小化、ミニマリズムという価値観、インバウンドという外需の組み合わせから生まれた、時代の表れだと感じます。

そしてスーツケース市場からは、「使う人の数」だけでなく「どう使われるか」「どんな意味付けで選ばれるか」が市場を左右するということも見えてきます。量から質へ、所有から体験へ、旅行(という非日常の)用途から日常用途へ。こうした流れは、デザインやものづくり、サービスづくりに関わる多くの分野に通じる示唆を含んでいるのではないでしょうか。

MRD通信は、街のささやかな観察から始まるビジネスとライフスタイルの視点もお届けしていきます。

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