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“資生堂ショック”と、“女は休む/男は休めない”論争と
資生堂は、2025年12月期連結決算(国際会計基準)の最終利益が520億円の赤字になるとの見通しを発表しました。あの資生堂が!です。
従来予想は60億円の黒字だったのですが、米国事業で減損損失を計上したことで、過去最大の大赤字となったようです。追い打ちをかけるように、収益性の改善に向け、2025年12月に200人前後の希望退職の募集を実施することも発表されました。
この発表を「令和の資生堂ショック」と言った人がいました。“令和の”というのは、本来の資生堂ショックは2014〜15年ごろの出来事を差すからです。
本来の意味で使われる「資生堂ショック(※)」とは、店頭のシフトをめぐって「産んだ人/産んでいない人」の不均衡が噴き出した2014〜15年ごろの出来事のことです。
そんな矢先、SNSで「女は急に休むからだめなんだ」「男は休めないものなんだ」といった言葉(レスの応酬。通称“レスバ”)を見かけました。定期的に巻き起こる対立であり、こうした声には、それぞれ背景があり、誰かが一方的に悪いわけではありません。
ただ、一歩立ち止まって眺めてみると、この二つの話題はじつは同じところにつながっているように見えます。
それは、性別や家庭環境といった“属性”に、役割を固定してしまう働き方が、もう限界を迎えている ということです。
ここでは、二つの対立を“責め合う材料”ではなく、これからの働き方や生き方を考えるきっかけとして、そっと紐解いてみたいと思います。
※:「(当時の本来の)資生堂ショック」とは;2014〜15年ごろ、百貨店の化粧品カウンターで、資生堂が「子育て中の人も含めて、夜や土日など忙しい時間にも基本的に入ってもらう」方針に切り替えたことで起きた騒動の通称です。「忙しい時間帯の人手確保」と「家庭との両立」に、どう折り合いをつけるのか?をめぐって大きな論争を呼んだ出来事です。
■ 1|資生堂ショックに見える、“善意で回してきた働き方”の疲れ
資生堂の店頭では、育児中のスタッフを気遣い、その分のシフトを独身のスタッフが引き受ける─そんな優しさが積み上がってきました。
でも長い時間が経つと、どうしても
- 誰かに負担が集中したり
- 評価が追いつかなかったり
- 「どうして私だけ…」という気持ちが積もったり
といったことが起こりやすくなります。
これは、「産んだ/産んでない」の問題ではありません。“誰かの善意”に頼って回してきた働き方が、もう持ちこたえられないほど複雑になってしまっただけなのだと思います。
■ 2|「女は休む」「男は休めない」も、じつは同じ構造の悩み
SNSでよく目にする
「夫(父親・男)は仕事をしているのだから、急に保育園や幼稚園に呼び出されても休めるわけがない」「妻(母親)は今までこうして、職場に頭を下げながら、子どもの急な発熱などに対応してきた。仕事を急に休んだりしてきた。夫(父親)にもできないわけがないだろう」
それが「女は急に休むからだめなんだ・困るんだ」「男は急には休めない」という二項対立になってしまっています。これも、実は性別の問題ではありません。
家庭での急な呼び出しが女性に偏りがちなのも、男性が休みにくい雰囲気が残っているのも、どちらも、
“属性によって役割が決められてしまっている”という構造の影響が大きいと思うわけです。
誰かが悪いわけではなく、いまの働き方が変化した生活の多様性に追いついていないだけなのではないか、と。
■ 3|性別ではなく「属性」で考えると、見える世界が変わる
現代社会には、
- 子育て中
- 子なし
- 独身
- 既婚
- 介護中
- 健康上の事情
- 通勤距離
- 時間帯の制約
- スキルの違い
- メンタルのコンディション
など、さまざまな“属性”を持つ人がいます。
だから、本来は性別で役割を決めるよりも、“その人の属性に合わせて”働ける仕組みのほうが自然なのです。
そうすると、誰かが急に休んだり、誰かにばかり負担が寄ったりするような構造から、少しずつ解放されていくのではないでしょうか。

■ 4|【働き方】“属性を前提にした役割づくり”へ
➡ その人が働ける時間・負担・環境に合わせる
「女性だから」「独身だから」ではなく、“いまのその人に合う働き方”をベースに役割を組み直す。
➡ 負担が偏ったら、きちんと見える形で返す
急な代打や忙しい時間帯を引き受けたら、手当や休暇、評価などで“すぐに返す”。「ありがとう」を制度の形にするイメージです。
➡ 組織に“余白”をつくる
誰かが休んだら誰かが倒れる─そんなギリギリの状態は、もうやめたい。常にひとり分の余裕を持たせることで、お互いが無理せず働けるようになります。
■ 5|【生き方】どの人生も「続けられる」ことが大切
日本の人口が減る中で、「子どもを産む人だけが大切」といった考え方は現実的ではありません。
- 子どもを育てる人生
- 子どもを持たない人生
- 共働きとしての人生
- 介護を担う人生
それぞれに価値があります。
どの人生を選んでも“続けられる設計”こそ、本当の意味での豊かさなのです。
■ 6|【夫婦・カップル】“性別で決めない”協力の形
夫婦の中でも、
- 収入
- 勤務時間
- 健康
- 家事スキル
- 通勤状況
- 心の余裕
など、持っている属性はバラバラです。
だから、「男性だから」「女性だから」ではなく、お互いの“属性の組み合わせ”で最適な分担を考えるほうが、ずっと穏やかで現実的です。
これは、どちらかが我慢する関係ではなく、助け合いながら進んでいける関係をつくる発想でもあります。
■ 7|【人口の未来】子どもが“自然に増える”環境とは
出生率を上げるには、気持ちだけでは足りません。「産みたい」と思ったときに、安心してその選択ができる構造が必要です。
たとえば、
- 育児期の社会保険料の軽減
- 男性育休のとりやすさ
- 保育園の空白期間への公的サポート
- 教育費の負担を減らす仕組み
- 企業の代替要員への補助
など、国全体で“育児のハードル”を下げていくこと。
そして同時に、子どもを持たない人の人生も尊重される環境が欠かせません。どちらかだけが優遇される社会では、誰も安心して子どもを望めません。
“子どもが自然に増える社会”の条件~社会の構造でかなえていく
- 休むことが“特別”ではない職場
組織や職場に“余白”が常に用意され、誰かが休んでも売上が落ちない。- 時間とお金の“段差”が低い暮らし
育児期の可処分時間・可処分所得が確保される。- 夫婦が“属性で相談”できる文化
性別先入観から解放され、選択が現実になる。- 独身や“子なし”も尊重される社会
誰かの人生を“穴埋め要員”にしない社会は、安心して親にもなれる。
■ 8|まとめ:
属性で考えると、社会は誰にとっても優しいものに変わるはず。
資生堂ショックも、「女は休む/男は休めない」という議論も、じつは性別の問題ではありません。
どちらも“属性による役割の偏り”が残っている社会の負担が、表面化しただけだと考えます。
だからこそ、
- 属性に合わせた役割づくり
- 負担の可視化と適切な交換
- 組織の余白
- 夫婦の柔らかな分担
- 国家による育児支援
- どの人生も尊重する文化
この組み合わせがあれば、社会全体が少しずつ楽になっていくと信じます。誰かの善意で回る社会(やチーム)は長くは持ちません。けれど、善意を“見えるルール”に変えた社会(やチーム)は、驚くほどしなやかです。
“性別”ではなく“属性”で考えると、世界は急に解像度を上げます。
できること、できないこと。やりたいこと、避けたいこと。その現在地から役割を再設計し、負担を即時に交換し、余白を常に用意しておく。家庭も、職場も、社会も、その延長線上にあります。
“誰かが我慢して成り立つ社会”ではなく、
“誰もが自分の属性に合わせて無理なく暮らせる社会”へ。
そこにこそ、子どもが自然に増えていき、多様な価値観が共存できる未来がある─そんな風に思うのです。
